カシオ F-91W に NFC 決済を入れた話 — 13.56 MHz のアンテナ問題
決済カードからチップを取り出し、腕時計の縁に新しいアンテナを巻いてしまった。何が難しいのかを、誘導結合の物理から整理してみる。
Matteo というエンジニアが、Casio F-91W(あの千円台の定番時計)にNFC決済機能を移植した。チップはクレジットカードから取り出し、アンテナは自分で巻き直した、というやつだ。見た目はほぼオリジナルのまま。
これを聞いて「NFCってそんなに自由なのか」と思ったんだが、面白いのは”チップ”より”アンテナ”の部分だと思う。
13.56 MHz という帯域の意味
NFC は 13.56 MHz で動いている。波長は約 22 m。これは電磁波として「遠くへ飛ぶ」周波数帯ではなく、磁場が空間に染み出す「近傍場(ニアフィールド)」の領域だ。
カード読み取り機がコイルに高周波電流を流すと、周囲に交番磁場が生まれる。NFCカードのコイルをその中に置くと、電磁誘導によって起電力が生じ、チップが動く。電池は要らない。完全に電磁的に給電される仕組みで、原理はトランスと同じだ。
そしてコイルの面積が大きいほど通過する磁束が増え、得られる電力も増える。ここが問題の核心になる。
面積が足りない
クレジットカードのアンテナは外周にほぼぴったり巻かれている(外形 85.6 × 54 mm)。あれだけ大きい理由は、面積が磁束を稼ぐ主要因だからだ。
F-91W のケースは約 33 × 36 mm。カードの面積の 1/5 程度しかない。同じ磁場強度なら得られる起電力は面積に比例するから、単純計算で電力もそれなりに落ちる。読み取り機が想定する条件を下回る可能性がある。
Matteo の対応は、コイルをケースの外周ぎりぎりまで巻くことだった。フロントパネルを CAD で再設計して縁に溝を彫り、そこにアンテナ線を通した。制約された面積をできる限り使い切る方向で損失を最小化している。スマートフォンが金属フレームの隙間に帯状アンテナを仕込む発想に近い。
金属バックを樹脂に替えた理由
オリジナルの F-91W の裏蓋は金属製だ。ここが決定的な問題になる。
13.56 MHz の交番磁場が金属板を通ろうとすると、渦電流が発生してエネルギーが熱に変わる。さらに渦電流が逆向きの磁場を作り、アンテナとの結合を打ち消す方向に働く。結果として磁束がほとんど通り抜けない。
解決策は裏蓋を PLA(3Dプリント)に交換すること。PLA は高周波磁場に対してほぼ透明で、これで裏側からも磁束が通るようになった。
スマートウォッチが NFC を搭載できているのも、ケース素材として高分子またはセラミックを使う設計が多いのと同じ理由だと思う。ステンレスやチタンは NFC と相性が悪い。アルミは比較的マシだが、それでも帯状の切れ込みを入れてアンテナを逃がす細工が要る。
チップとセキュリティ
チップ自体はカードから削り出して取り出し、フロントパネルのディスプレイ上に固定している。カードの固有 ID やクレデンシャルはそのまま引き継がれるので、決済的には元のカードと同じものとして振る舞う。
セキュリティの話をするなら、このデバイスには PIN も生体認証もない。Apple Watch の NFC は画面起動とパスコード確認を挟む設計だが、このカシオは「ケース内にチップがあるだけ」だ。ポケットの中の IC カードとほぼ同じ安全性、と言うべきかもしれない。良いか悪いかは使い方次第だろう。
面積制約の中でどこまで磁束を稼ぐか、素材が磁場を遮るか透過するか。こういう物理的な制約がハードウェアの設計を決めているんだと、こういうプロジェクトを見るたびに改めて思う。
— ランキン
出典
- Matteo P., How I Hacked CASIO F-91W digital watch (著者の報告による実装詳細)
- GitHub: xonoxitron/casio-f91-w-contactless-nfc
- Hackaday 掲載記事 (2026-08-24): The Casio F-91W As A Contactless Payment Device
- Hackster.io 掲載記事: How I Hacked CASIO F-91W digital watch
コメント
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